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谷口隆

Author:谷口隆
数学を題材に綴るというちょっと変なブログですが,楽しんでいただけたらと思います.いろいろな数学を取り上げ文字に起こすことで,『数学とはどんなものか?』ということを,読者の方と一緒に考えていきたいと思っています.本人は,整数論という数学の一分野を研究しています.1977年生まれ.
今まで書いたもの一覧



連載コラム『数学者的思考回路』
(裳華房ウェブサイト,共著)

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続・子供と学ぶ二度目の算数
昨晩の出来事。

小学1年生の子供が、算数の問題集の前の方に、間違いが1つ残っているのを見つけた。解きなおしたくなったらしく、妻と一緒に考え始めた。


このようなカレンダーが載っていて、「15日の4日後は?」という問題。子供は11日と書いていて、ペケがついている。(注:以下で、4日後はずっと「4にちあと」と読んでください。)

●   ●
 妻:15日の4日後は?
 子:11日。
 妻:それは4日前とちゃう?
 子:ん?
 妻:んー、じゃあね、15日の4日前やったら?
 子:んー、11日。
 妻:でしょ。じゃあ、15日の4日後は?
 子:11日!
 妻:( ̄□ ̄)!!それは4日前とちゃう?
 子:ん??

ここで妻から、「どうしたらええのん?」とバトンパスされた。私としては一瞬、ここまで子供なりの理屈があって11日にしてる以上、まぁもうしばらくは11日のままでもいいんじゃないか(やむを得ないんじゃないか)とさえ思ったが、子供の方が何でペケになっているか理由を知りたがっている。えーっと、でもどうしましょうかねぇ。。じゃあまず‥


 私:3日の2日前は?
 子:1日。
 私:じゃあ3日の2日後は?
 子:1日。



なるほどねぇ。どっちも同じ答えになるのか。うーん、では‥


 私:7日の2日前は?
 子:5日。
 私:(ふと思いついて)じゃあ7日のあさっては?
 子:んー、9日。
 私:(おっ、後ろになった。)じゃあ7日のあさってのあさってのあさっては??
 子:!!分からん!
 私:そうか。(ちょっと悪ノリだったか。)じゃあ、7日の、あさってのあさって、やったら?
 子:んーと、11日。
 私:じゃあそれのあさってやったら?
 子:あぁ、13日か。
 私:じゃあ、7日の4日後は?
 子:11日。
 私:(あらできた。)じゃあ‥
 子:(問題集に目を向けて)あ、19日か。19日やなぁ (*^-^)



と、ここで正解が分かったらしい。子供はここで満足したようだ。

●   ●

これで「15日の4日後は?」という問題が理解できたとはまだ言えない。こんなに誘導を重ねてやっとできたのだから。今日は正答への道筋をともかく辿れたというぐらいだ。自分一人でも辿れるようになるか。もちろん、こんな回りくどい道でなくてよいはずで、一旦分かれば簡単だろう。ひょっとすると数日のうちにできるようになるかも知れない。でも構成論的に考えると、それと並んで大事なのは、4日前と4日後で同じ答えになったこと、それに違和感がなかった思考の調整だと思われる。子どもなりに考え、あれだけ整然と答えていたわけで、この思考の調整には結構時間がかかるかも知れない。大人としてはここは、たまに必要なときの支援をしながら、ゆっくり待つのがいいように思う。この調整のプロセスが長いのであれば、きっとその分、そこで子供は多くことを学ぶのだろうから。

●   ●

(追記)しかし、何で4日前も4日後も11日になったのか。それはよく分からんかった。



コラム | 09:05:47 | トラックバック(0) | コメント(0)
構成論の紹介(その1)
裳華房の連載コラム『数学者的思考回路』の第17回「子供と学ぶ二度目の算数」に書いたような子供への接し方は、たまたま知った「構成論」という幼児教育の理論に少なからず影響を受けています。コラムの補足として、この「構成論」という理論について簡単に紹介したいと思っていたのですが、なかなかまとまりそうにありません。埒があかないので、思い切って、見切り発車でともかく書き始めることにしました。不完全な点があるかと思いますが、それでも何かご参考になることがあれば幸いです。


---

構成論はピアジェという心理学者の心理学と認識論を幼少教育に応用した理論です。英語は constructivism です。

構成論によると、子どもは自分の知的な体系や道徳性を、自分自身で構成しながら(作り上げながら)成長します。もし、子どもが当初から大人と同じように物事を考えることができるならば、子どもはただ知識が不足している状態で、教育の目的は、知能を形成することではなく、知識を与え、つめ込むことになります。いわば出来上がったからっぽの「箱」にどんどん物を入れていくように。これに対し、構成論では、知的・道徳的に考える力の形成こそが教育の主要な目標になります。その中で知性や道徳性が有機的な体系をなすような「よい箱」を作る(構成する)ことこそが大切、というわけです。(「構成論」の「構成」はこの構成です。)

そして、このような力は外側からは形成することができません。構成するのは子ども自身であって、このために子どもは自発的に活動する、能動的な学習者となる必要があります。このため、教育において大人(教師)は、子どもに対する権威の行使や支配を最小限にとどめ、子どもたちの自発性・あそび・実験・思考・協同などを促すよき相談相手・導き手とならなければなりません。

構成論では、幼児は、事物への物理的な働きかけとその反応を関係づけることによって自らの認知的な構造を発展させていく(より知的になっていく)と考えます。幼児には、活動を伴わない思考がありえないからです。では、子どもはどのようなとき自発的に活動するものでしょうか。ピアジェは「興味」を構成的過程の「燃料」(エネルギー)と考えました。幼児にとって、興味や関心は自発的活動の中心をなすもので、それによって、子どもは知識と知能を構成します。興味というものがなければ、子どもは経験を理解しようとする努力をしないし、新奇なものへの興味がなければ、子どもは自分の考えを修正しようともしません。

だから、構成論に基づく教育は、子どもの活動に本来備わっている自発的興味を呼び起こすものでなければなりません。しかし、その方法がどのようなものであるかはあまりはっきりしていません。ピアジェ自身も「どのようにすれば子どもの自発的活動に訴えることができるかを知ることほど、大人にとってむずかしいことはない。」と述べています。かくして、この方法を見出すことが課題の一つになります。


(続きます。次回はピアジェが、子供たちのする「まちがった考え」に重要な価値を見出した点について書きたいと思います。)

参考文献:『ピアジェ理論と幼児教育の実践』(デブリーズ / コールバーグ著,加藤泰彦監訳,北大路書房)

コラム | 10:02:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
かけ算の順序について
小学校で、3×5とするところを5×3と書いたのでバツになるという話があるらしい。本当に間違いなのか。この指導は、「かける数」と「かけられる数」の区別ができているかを正しい式が書けているかどうかで判断しようということだと思うが、その判断の仕方はちょっと安直なように思われる。現場の難しさは知らないので何とも言えないが、子供が誤ったメッセージを受け取る恐れもある。個人的には、やらなくてすむならやらない方がいいと思う。問題点が二つある。

そもそも、かける数とかけられる数とはどう違うか。例えば3cmを5倍にすることを考えてみる。この「3cmの5倍」は意味があるが、「5の3cm倍」と言われると、全く意味をなしていない。「〇倍」は小学算数のメインテーマである比例で、中核に位置する概念である。「〇倍」が何かを理解し、前者に意味があり後者は意味不明であることは分かってもらわなければならない。3cmの5倍は3cm×5という式で、このかけ算では、3cmがかけられる数、5がかける数という立場の違いがある。

でも、このような区別のない掛け算もある。「長方形の面積は、縦×横と横×縦のどちらが正しいですか?」と聞かれたら困る。どっちも正しいと言うしかない。というか、長方形の辺のどちらが縦でどちらが横かは置き方や見方で変わってしまう。そして、面積を縦×横と言った場合も、どっちがかける数でどっちがかけられる数かというのはない。つまり、『かける数とかけられる数という区別の、あるときとないときがある』のだ。これが一つ目の問題。

もう一つの問題が、『見方によって、かける数とかけられる数の立場が入れ替わることがある』という点。例えば、3色ダンゴが5串あったら、ダンゴは何個あるか。オーソドックスに解けば、3×5=15になるかも知れない。ここの3×5は
 (1串あたり3個)×(5串)
という意味である。でも、5×3でも意味が通る。
 (色ごとに5個)×(3色)
と考えたら、5×3になる。5×3を間違いにすると、こういう見方は認めないということになってしまう。また、ダンゴを串から外して長方形上に配置してしまえば、かける数とかけられる数の区別がなくなる状況にもなる。そうすれば、3×5と5×3は対等である。

かけ算ひとつを取っても、意味には広がりがある。いろいろな実例を通して、その広がりを経験することが大切だと思う。どんな経験をして、どう理解を深めたか。立式を見ているだけでは分からないだろう。機械的に評価できるようなものではないと思われる。

コラム | 08:41:17 | トラックバック(0) | コメント(0)
ガウス
今日4月30日は,史上最大の数学者と呼び名の高いガウスの誕生日です.裳華房の連載コラムではガウスが何度か登場しています. 第1回『数学書の読まれ方』で出てきた正17角形の作図は,ガウスによって発見されました. 第15回『平面に目盛られた数』では,ガウスが時代に先駆けて複素数の平面表示を考えていたことに触れました.名前こそ出しませんでしたが,第5回『素数定理を紐解く』で説明した Li(x) という関数に,真っ先に気づいたのもガウスです.



特にガウスを推すつもりがあったわけではないのですが,こうなってしまうあたり,やはりガウスの影響は大きいのでしょう.この機会にぜひお読みください.

第1回『数学書の読まれ方』
第15回『平面に目盛られた数』
第5回『素数定理を紐解く』

コラム | 07:40:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
余弦定理(続)
前回の続きです.(同じ式番号を使います.)前回は第一余弦定理と呼ばれる式


が,頂点から垂線を下ろすことで明瞭に分かることをみました.一方,通常(単に)余弦定理と呼ばれる次の式は,上と区別するときは第二余弦定理と呼ばれます.


今日はこの二つの余弦定理の関係を考えましょう.

●   ●

(4), (5), (6) は証明できているので,これを使って(1), (2), (3) が示せないか?この問いが前回の結びでした.ひとつできれば後は同じでしょうから,


だけに集中しましょう.
から (1) を示したい.では‥?


示したい (1) に cos B はありませんから,(4), (5), (6) から cos B は消去できるといいですね.だったら (4) × a - (6) × c で,cos B を消去してみましょう.同じく cos C も消去したい.こちらは (4) × a - (5) × b で可能です.このふたつの操作はまとめることができ,


になります.その結果といえば


オヤ,b2とc2を移項すれば (1) ができました.(2) と (3) も同様です.

●   ●

逆に,(1), (2), (3) から (4), (5), (6) を導くこともできます.それは皆さんにお任せしましょう.ちなみに,コサインでなくサインの方を考えると,サインは斜辺分の対辺なので,次のような関係になります.

これを踏まえて前回も使った垂線の図をもう一度じっと見てみると‥

垂線の長さAHは,c sin B でもあり b sin C でもあります. c sin B= b sin C から


が出てきます.(ただし前回同様,B か C が鈍角のときは,別に考える必要があります.)同様に考えて,結局


となり,正弦定理の式が出てきました.(通常,正弦定理とは,この等しい値が外接円の直径になることも合わせて書かれます.)

頂点からの垂線とは補助線としてはかなり単純に思えますが,ここから余弦定理・正弦定理の双方が導かれるとなると,なかなか趣深いとも言えそうです.

コラム | 09:11:01 | トラックバック(0) | コメント(0)
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