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谷口隆

Author:谷口隆
数学を題材に綴るというちょっと変なブログですが,楽しんでいただけたらと思います.いろいろな数学を取り上げ文字に起こすことで,『数学とはどんなものか?』ということを,読者の方と一緒に考えていきたいと思っています.本人は,整数論という数学の一分野を研究しています.1977年生まれ.
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連載コラム『数学者的思考回路』
(裳華房ウェブサイト,共著)

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ワイルズさんを引き込んだもの
少し空いてしまいました.本の紹介『フェルマーの最終定理』の続きです.今回読み直して,へぇと思ったことを書こうと思います(←つまり今日は感想文です)

●   ●

へぇと思ったこと,それは,この話の主人公ワイルズさんは,どうしてもフェルマーの最終定理が解きたくて解きたくてしょうがなかったらしい,ということです.って,そんな当たり前のことの何が!!ですよね.ちょっと説明させてください.

前回にも書いたように,フェルマーの最終定理は長いこと,単に極端に難しいだけで,正しいか正しくないかもはっきりしないし,解くことにさほど価値があるとも思えない,と考えられていました.これに転機が訪れたのは1985年頃のこと.「谷山-志村予想」と呼ばれる予想が証明できれば,フェルマーの最終定理も正しいということが分かりました.谷山-志村予想は現代数学の大テーマで,こちらは単に難しいだけでなく,この予想が数学に与えた影響も大きく,成り立つ根拠が知れるなら大変な値打ちがあるだろうと期待されていたのです.

相当困難と考えられていた谷山-志村予想ですが,ワイルズさんは大勢の見方を覆し,この予想を(だいたい)証明してしまいました.結果,フェルマーの最終定理も正しさが確認されたわけです.ではワイルズさんは,谷山-志村という大予想を証明し,数学の流れに影響を与えようという野望や使命感を持っておられたのでしょうか?この本に次のようなインタビューがあります.

「あれは1986年の,夏も終わりのある晩のことでした.私は友人の家でアイスティーを飲みながら話をしていました.するとその友人がなにげなく,ケン・リベットが谷山-志村予想とフェルマーの最終定理とのつながりを証明したよ,と言ったのです.私は感電したようなショックを受けました.その瞬間,人生の流れが変わってゆくのがわかりました.フェルマーの最終定理を証明するには,谷山-志村予想を証明すればよいというのですから.子供の頃に抱いた夢が,取り組むに値するりっぱな仕事になったのです.その夢を手放したりできないことはわかっていました.家に帰ったら谷山-志村予想に取りかかるんだ---そう思いました.」

つまりワイルズさんの心を何より捉えたのは,谷山-志村予想よりも,フェルマーの最終定理だったということだそうです.これは僕にはやや意外でした.一般的な数学愛好家ならともかく,トップクラスの研究者としては,重視するのは谷山-志村予想の方だと思ったからです.しかし,ワイルズさんは子供の頃からフェルマーの最終定理を考え,気にし続けていたそうで,ここでは使命感などよりも,"知的な無邪気さ"(敢えていうなら"子供っぽさ"とも言える?)がワイルズさんの原動力となったようです."感電したようなショック"という表現に,フェルマーの最終定理と結びついたから「谷山-志村をやろう!」となったことがよく現れています.

『面白いことが大切か,それとも重要なことが大切か.』と聞かれると,僕ははっきりした答えを持つことができません.マジメ人間は,重要なことが大切と考えがちです.---しかし当時,谷山-志村予想は,証明されるには数十年はかかると見込まれており,挑戦するには無謀に過ぎるという見方が大勢でした.多くの数学者は,いくら重要であろうと,谷山-志村予想を解こうとは考えなかったのです.---今回の話が,重要だと考える人がかえって皆ひるんでしまったものを,面白いと考えた人が突き破ってしまったということなら,これはちょっと愉快な話ではないでしょうか??(誤解のないよう補足すれば,専門家でもあり世界有数の研究者でもあったワイルズさんがありったけの力を注いだから突破できたのであって,普通の研究者がいくら面白がろうとそれだけで突破できるようなものではなかったのですが.)

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『フェルマーの最終定理が解けたのも素晴らしいが,何より大切なのは谷山-志村予想が解けたことだ』と言われることがよくあります.実際,理論的にはもちろんその通りで,数学者が研究上重視するのも,また当然の如くその後の整数論の進展の基盤となったのも,谷山-志村予想の解決の方でした.しかし単にこうまとめてしまうと,本当に人を突き動かす衝動はどう訪れるのかということの微妙な綾が,抜け落ちてしまうかも知れません.谷山-志村予想は重要だったからだけでなく,解きたくてたまらなかった人がいたから解かれたのです.

この本の最後は,次のようなワイルズさんの言葉で締めくくられています.

「大人になってからも子供のときからの夢を追い続けることができたのは,非常に恵まれていたと思います.これがめったにない幸運だということはわかっています.しかし人は誰しも,自分にとって大きな何かに本気で取り組むことができれば,想像を絶する収穫を手にすることができるのではないでしょうか.(以下略)」

大変にカッコヨイ終わり方ですが,純粋で無邪気な知的好奇心を育むこともまた,大切なことであると再確認しました.

本などの紹介 | 23:02:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
東大の秋入学検討のニュースについて
(※少し表現を修正し,議論を補いました.東大の秋入学移行に反対する東大教員有志の会が立ち上がっています.(2/15))


このブログでは数学のことを書いていこうと思っていましたが,数学以外でも社会情勢のことなど,気になることというのは僕にもあるものです.(←当たり前のこと書いてすみません.)この件は僕の仕事と関係も深いので,関係者として意見を書き記しておこうと思います.数学じゃなくてすみませんが,興味のある方の参考になれば幸いです.東大といくつかの大学が秋季入学を検討していること,それを政府も「大変評価」し,また経団連も歓迎すると述べたというニュースのことです.結論から言えば,この実施案には重大な問題点が複数あると考えています.

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僕自身も,どちらかというと学年は秋から始まる方がよいと思っています.世界では学年暦は秋から始まる方が一般的なので,暦が揃っていた方が,留学の他,研究交流などでも便利なことが多そうです.(今回の僕のプリンストン滞在も,暦が揃っていたほうがだいぶよかったです.)また,年度替わりに長い夏休みが来るので,落ち着いて新年度を迎えられるのもよいことに思えるからです.なので第一報を聞いたときは,なんとなくよいニュースのように思いました.ところが冷静になって調べてみると,個人的にはとても賛成と言えるような内容ではありませんでした.(僕の視点から)問題点を解説しようと思います.

※実際にどう話が進んだかを可能な限り知るには,東大が公表している「中間まとめ」というものを読むしかやはりないようです.長い(58ページ)ので,特に興味のある方はご覧ください.
東大の該当サイト「中間まとめ」(PDFファイル)


(1)空白期間
「中間まとめ」によると,高校以下は暦を変えず,大学だけ秋入学に移すそうです.とすると,高校卒業から大学入学まで半年の空白ができます.卒業時期もずれ込むので,実質的に半年間の留年(卒業後も半年空白ができる場合は計1年の留年)です.この,若いときの貴重な時間をどうするのか?この半年の空白を『ギャップターム』と呼び,学生たちにインパクトのある豊富な学習体験をさせるのが教育効果が高いということだそうです.留学・ボランティア活動・企業での就業体験・自主学習などが想定されているようです.大学はあまり関わらず,学生に主体的にやってもらうそうです.

それってどうなんでしょう?例えば留学.留学ってなんとなくよさそうですが,実際のところ,余程はっきりした目標がない限り,ただ数ヶ月海外に住むだけになります.アメリカに少し住んだら英語が上達する,なんてことはありません.留学にせよ何にせよ,自分で計画を立てて身になることを学び取るというのは難しいことです.うまくいかなくても,失敗も経験になるじゃないかという声があるかも知れませんが,少し考えれば分かるように,ここには当てはまりません.動機があり,精一杯知恵を絞りエネルギーを注ぎ込んだ,それでも失敗した,そんな経験が長い目でみて役に立ちうるということであって,そういう土台のない薄っぺらな失敗は何の糧にもなりません.

イギリスの『ギャップイヤー』という制度を参考にしたそうですが,本家のこちらは学生による選択制で,1年間の遅れと引き換えにしても学びたいことがあるというはっきりした目標を持つ学生を支援する制度です.この重い決断をする学生は全体の7.6%ほどだそうで,今の社会制度では高校卒業時にそんな意識を持てる学生は必然的に少数でしょうから,それが妥当だと思います.彼らでこその「失敗も経験」であって,本人の意識と無関係に与えられる(強制される)『ギャップターム』は根本的に異なっています.ギャップタームに大学はあまり関わらないとのことなので,

民間委託→商業主義によって生まれた安直な学習体験→薄っぺらな失敗→学生たちの心の傷

となるような気がします.加えて,半年もの期間を全部自分で管理するという点も,精神的に苦しいものです.学生のメンタル面での負荷はかなり心配です.

(2)国際競争力?
欧米の英語圏の大学と競うため,国際化・英語力強化という目標も掲げられています.周囲でも国際的な競争を迫られる局面が増え,英語の重要性も高まった昨今,この目標自体は僕も賛成ですが,戦うには戦略ビジョンが必要です.話を単純化しますが,例えばマイクロソフトの覇権の下で,グーグルは何をしたか?強力無比な検索サイトを作ってそれを武器に食い込んでいったわけです.アマゾンもフェイスブックもしかり.「マイクロソフトに負けないOSを作ろう」「グーグルに負けない検索サイトを作ろう」みたいな単なる真似では,そのモノサシで既に一番になっている団体には勝てるわけありません.戦うなら,相手の戦略を研究した上で,自分ならではの強みをどう活かして食い込みうるかを冷静に見極めることが必要条件です.戦略もなく戦いの場に乗り込んだりするとヒドイ目にあいます.「中間まとめ」によると外人教員を何パーセントに増やすとか英語の授業を増やすとのことです.何も考えてないということはないはずですが,この説明ではどう戦略を立てているのか不明です.

(3)その他
空白期間の間に学力が低下する点も大きな問題です.また,ギャップターム用に大学としても授業を用意するそうですが,各種制度改革の結果,現在は大学教員もかなり忙しくなっています.不必要に仕事を増やすと,本来担っている教育・研究に支障が出て本末転倒です.(授業の一つや二つぐらいと思われるかも知れません.でも既存の授業と重複しすぎず,目的に沿った授業を新しく計画して準備する,というのはかなりの労力を要するんですよね.)

(4)それから
秋入学は,実施すればもう二度と元に戻せません.(遅らせることはできても早めることはできないのです.)後で「しまった」とならないよう,事前に,起こりうる問題点についての冷静で緻密な検討が必要です.

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東大の発表後,首相と経団連代表がすぐ賛成を表明しました.事前にかなり根回しがあったのでしょう.首相は『評価する.官民でよく議論を』と言ったとか.「よく議論を」というのの先に「評価」という言葉(←というかもうちょっと突っ込むと,「評価する」という表現だが,回答の中身は完全に「賛成する」である)が来るのがすごい.東大の「中間まとめ」では,『これを機に幅広い議論が展開されることを願う』と書く一方で『待ったなし』と煽り立てるようなフレーズもあって,読めば読むほどいい加減な議論が目につきます.残念なことですが.

もうまじめに反対意見に取り合う気は上層部にはなく,もはや秋入学は既定路線なのかも知れません.しかしこれが日本中の大学にどんどん波及する可能性を考えると余計に恐く,結果はさておき僕がやれることがあったら(このブログを含め)やっておきたいと思っています.

数学以外 | 13:25:47 | トラックバック(0) | コメント(2)

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