■プロフィール

谷口隆

Author:谷口隆
数学を題材に綴るというちょっと変なブログですが,楽しんでいただけたらと思います.いろいろな数学を取り上げ文字に起こすことで,『数学とはどんなものか?』ということを,読者の方と一緒に考えていきたいと思っています.本人は,整数論という数学の一分野を研究しています.1977年生まれ.
今まで書いたもの一覧



連載コラム『数学者的思考回路』
(裳華房ウェブサイト,共著)

■カテゴリー別
■新しいコメント
■リンク
■RSSリンクの表示
■カウンター

指導者と学習者の人数比
夏休み、子供が短期の体操教室に通っている。送ったついでに少しだけ観覧席に座った。全部で30人ぐらいの子供がグループに分かれ、4人のコーチにそれぞれ指導を受けている。それを見ているうちふと、小学3~4年生ごろに自分が体操教室に通っていた記憶が蘇ってきた。

●   ●

通ったきっかけは、逆上がりができなかったことらしい。ひけらかせるような過去ではないのだが、ずっと体育が「苦手」だった私は、短距離走も長距離走も、鉄棒も、とにかく何をやってもできない方にいた。親はそれを気にしていて、私が学校で「逆上がりができない子」に区分されてしまったとき、遂に通わせる決断をしたようだ。

学校が終わった後の夕方に始まるその教室は、英才的な教育の反対で、私のような、どちらかというと運動の苦手な子供たちが来ていた。いろんな学校の子がいるが、いかにも得意という子はいない。わざわざ通うからには非常に得意な子がさらに能力を伸ばしに来るのでは、と想像していた私には、これはちょっと意外に映った。もう一つ、普段と違ったのは、できないことが特に否定的なものとはみなされないことだった。この空気感は当時の私にはかなり目新しく不思議なもので、夜に体育館の中を照らした天井の白い光のややミステリアスな雰囲気と相俟って、今も印象に残っている。

ゴールを定められた子供たちは、今どこまでできていて次のステップは何かをコーチに判断され、そのステップの達成を目指し課題に取り組む。できなくても怒られたり咎められたりすることはない。(自由時間の遊びで羽目を外したときは怒られる。)何か月か通ううち、逆上がりもできるようになり、まただんだん跳べるようになってきた跳び箱が楽しくなった。バスケットとかマットとか、他にもいろいろ経験した。自分が「苦手」ということを考えなくてよいのが非日常的で妙な気分だった。相変わらず「得意」にはならなかったが、1年半ぐらいで、ずいぶんマシ、「平均程度」になった頃、別の習い事との兼ね合いで辞めたのだろうか。コーチはやはり何人もいて、コーチ一人当たりの子供の数は10人程度であったと思う。

●   ●

子供の体操教室を見学していると、子供達の表情はみな生き生きしている。そして、他人と自分を比べていない。できないから肩身が狭いとか、一番できるから得意げ、というのがない。コーチに課題を与えられ、一人ずつ声をかけてもらって、それをやってみようとして、まぁ時に違う動きになっちゃってる子供もいるけど、みんな楽しそうに取り組んでいる。なんか羨ましいな、と思う。今の学校の授業を見学したことはないが、私の受けた学校の体育の授業とは違う。

身のこなし方などの実際の技術的な指導のことを考えると、根本的にはこれは、大人一人あたりが見る子供の人数の問題であるように感じられた。この体操教室では、体育の指導を専門にしている大人が、一人あたり8人程度の子供を見ている。引き換えに学校の先生はと言うと、一人で30人とか40人の子供を見なきゃいけない。(しかも体育の指導だけ考えていればいいわけではない、全教科の指導が仕事だ。)これって、絶望的にムリゲーじゃないだろうか。せめて最低、『小学校には体育指導を専門とする先生が一人いて、体育の授業はその先生を中心にクラス担任の先生が補助する形で二人で指導する』とかじゃないと、あんまりなんじゃないだろうか。それでもまだ、人数比全然大きいのだけれど。

そして最後に、これは算数でも問題になっていると思う。人数が多いと、個々に目は行き届かなくなる。「苦手」が生まれるのは、個別指導なんて受けられもしない上に他人と比べられたり(しかも安易なやり方で)するからではないだろうか。学校の先生が悪いのではなく、どだいシステムに無理があって、子供がぞんざいに扱われているのではないか、ということです。

日記 | 21:43:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad