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谷口隆

Author:谷口隆
数学を題材に綴るというちょっと変なブログですが,楽しんでいただけたらと思います.いろいろな数学を取り上げ文字に起こすことで,『数学とはどんなものか?』ということを,読者の方と一緒に考えていきたいと思っています.本人は,整数論という数学の一分野を研究しています.1977年生まれ.
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連載コラム『数学者的思考回路』
(裳華房ウェブサイト,共著)

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四捨五入の隙間に
こんにちは.前回はほのぼのとしたテーマだったので,今回はトーンを変えて,社会派(?)で行きたいと思います.というわけで‥

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小学校で四捨五入を習ったときの,ちょっと変な思い出がある.4年生か5年生ぐらいのことだった‥と思う.

キッチリ答えが出るところは算数のお気に入りのポイントだったので,「だいたいの値を求めましょう」と言われること自体いまひとつ嬉しくなく,やや盛り下がった気分で授業を聞いていた.先に四捨五入してから計算してもそれなりに近い値が出て,計算量が減るから便利なのだと説明される.それは例えば‥

37+21の場合,(十の位で)四捨五入してから計算すると40+20で答えは60,37+21=58とほぼ同じだし,四捨五入すると同じ60になる.43×26の場合,40×30=1200,直接計算すると1118で,同じではないがまずまずの近さ.四捨五入して計算すると暗算ですぐ分かって便利.ね?

正確な数字は憶えていないが,こういった感じで,四捨五入して計算した値とそのまま計算した値を比較する問題が教科書に何問か並んでいて,先生がそれを説明していた.これを聞いて僕は,「エー,それは違うよー!」と思ったのである.

上の例では,四捨五入で値が減るものと増えるものの組み合わせになっているのが,近似がよくなる理由である.ずれて大きくなった分と小さくなった分がキャンセルするように働くからだ.教科書に載っていた問題全部がこの組み合わせではなく,両方同じ方向にずれるものもあった.でも,計算後の値が極端に変わってしまうような例はなかった.僕は14×14を考えて―なるべく差が極端になる例を探したのだ―四捨五入してからかけると100,そのままかけると196,これはほとんど2倍で重大な差じゃないかと考え,「都合のいい例だけ挙げてずるい!」と思ったのである.(15×15だと400と225だから,極端さ具合(比)では14×14の方が大きいな,などと考えた記憶があるから,教科書の例が恣意的で値が大きくずれうる説明がなかったのは確かだと思う.)

教科書のために弁護しておくと,この説明がなかったのは教育的配慮だと思われる.一度に全部説明すると内容が増える.それに,近似がいいかどうかの境目は微妙で判断も簡単ではない. 39+27 なら両方増えるが,66の近似として70は悪くない.初学の子供が混乱しないよう,この微妙で難しい問題には立ち入らなかったのだろう.(とは言え,説明の仕方としては違和感もあるが.)

これが僕にとってややマズイ出来事になってしまったのは,「ずるい!」と思ったことを結局誰にも言えずに終わったことだ.学校ではこういうことを指摘してはいけないような雰囲気を感じてしまい,先生にも言えずじまいだった.その底には教科書は必ず正しいという"教科書信仰"とでも言えるようなものがあったようだ.教科書がそう説明するならそれは筋の通った説明だと,そして,どこかでは変だと思いながらもそれは説明としては通用すると考える,よろしくない思考習慣が(一部にせよ)身についてしまった,あるいは強化されてしまった.

時は過ぎ高校時代.世界史の先生(リベラルでいい先生だった)が,あるとき授業に文庫サイズの小さな本を持ってきて,「このことは教科書ではこう書いてあるんですが,この本にはこんな風にちょっと違ったことが書いてあります」と言ってその本の一節を読んでくれたことがある.当時の僕にとって新鮮そのもので,長く印象に残った.ひょっとするとこれが教科書信仰から脱却していく転換点になったのかも知れない.

入念に練られて書かれていても,教科書だって不完全なものだ.人間が作ったものに完全なものなどあるわけがないというレベルでも,どんな説明で納得するかは人によって異なるというレベルでも.教科書は神さまや宗教とは違って信仰するものではない.おかしいと思ったらどんどんそれを言う,周囲もその話に加わって考える,そんな自由な雰囲気が広がるよう,僕自身も努力していきたい.




(追記)なお,面白くないと思ったと書きましたが,四捨五入の考え方の大事さは後々気づくことになりました.実社会において数値を分析するとき,四捨五入と有効数字を使いこなせることは大切で,例えば高校の化学でもよく使います.また,(小学生からだとちょっと気の長い話ですが,)大学の理科系の数学では,"テイラーの定理"などで,近似の理論的に精密な取り扱いも出てきます.つまらない思ってしまった人には残念なのですが,ここはしんどいのを堪えて勉強してほしいと思います.

コラム | 22:46:36 | トラックバック(0) | コメント(2)
コメント
ブログ開設おめでとうございます!
遅くなりましたが、ブログ開設おめでとうございます。開設時から読ませていただき、とても面白く読みながら、勉強させてもらっています。

大人の全てを真似ていくというところから赤ちゃんの学習が始まるわけですが、それが成長するに従って、「大人のまねをする」ことがむしろ思考停止に繋がり、成長につながらなくなる、ということがどうしてもあるわけです。もちろんその事実に気付いたとしても、かといってまねをすること全体に対して安易に拒絶してしまえば、それもまたその子自身の成長を阻みます。
そういう意味で「教育的配慮」は必要なのでしょうが、問題はその「教育的配慮」があくまで「教育的配慮」にすぎないことを忘れてしまう親や教師側の精神の貧困さにあるのかもしれませんね。自戒を込めて、強くそう思います。
君のような疑問を今まさに持ち続けている若い芽を、押し殺さずに伸ばしていけるように、注意深く教えていきたいと思っています。
2011-01-10 月 23:35:11 | URL | 柳原浩紀 [編集]
コメントどうもありがとうございます.

「真似は良いか悪いか」という(昔からの)議論がありますが,真似それ自体は良くも悪くもなりうるもので,その緊張関係を見極めることが大事なのですね.なるほど.僕もよく注意したいと思います.

面白いと思ってもらえているとのこと,嬉しく思います.今後も何かあったらぜひコメントを寄せてください.
2011-01-13 木 00:30:19 | URL | 谷口隆 [編集]
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