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谷口隆

Author:谷口隆
数学を題材に綴るというちょっと変なブログですが,楽しんでいただけたらと思います.いろいろな数学を取り上げ文字に起こすことで,『数学とはどんなものか?』ということを,読者の方と一緒に考えていきたいと思っています.本人は,整数論という数学の一分野を研究しています.1977年生まれ.
今まで書いたもの一覧



連載コラム『数学者的思考回路』
(裳華房ウェブサイト,共著)

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宮本先生の連載『「賢い子ども」の育て方』
「宮本算数教室」主宰の宮本哲也先生が、学研キッズネットに連載をしている。

「賢い子ども」の育て方

宮本先生のパズルはずっと以前に紹介したことがある。宮本先生の算数パズルはよくできていてすごいなぁと思うが、僕は以前から、宮本先生の文章も好きだった。文章中に無駄な文がなく、文の順序もとても適切だと思う。だから論点がとてもすっきりと読み取れる。そして、そもそも算数とはどのようなものか、そして子供がその算数をどのように学んでいくのがよいか、そのために親(大人)はどう関わるべきか、ということに関して、僕の考えと共鳴する部分がかなり多い。もちろん異なる人間なので、細部で見解が違う部分もあるだろうし、どの側面をどれぐらい重視するかという点で異なることもないわけじゃない。でも僕が知らないこともたくさん書いてあるし、説明がクリアで、とても勉強になる。

日経DUALに宮本先生の『算数ができる子は幸せになる! 2大禁止項目とは』という記事があるのを知って読もうと思ったら、有料で、1つの記事を読むにはちょっと高かった。読みたいけどなぁ~と思いつつネットを辿ってて見つけたのが、冒頭の学研の連載。

この連載の中には、バイオリン少年やサッカー少年の話(2017/1/25付)や、さまざまなことに挑戦する話(2016/5/20付)、自分の人生を生きる話(2016/4/13付)など、人生に関わるような、算数よりは少し大きなテーマが中心になるものもある。ちょっと意外に思われるかも知れないが、これも至極当然のことだと思う。人生をどうするかといったもともと重要な問題と無関係なこととして、算数を学ぶことについてだけ考えるということが、そもそも意味をなさないからだ。

これはインタビューだけれども、別のサイトにある10年以上の記事『中学受験は子どもにとって正しい選択か?』も面白い。(写真を見ると、今はこのときよりだいぶ痩せられたみたいだナ。)

バイオリン少年の話が出てくる記事『第11回 没頭力を鍛える』は次の言葉で始まる。

子どもが何かに没頭している時間は自分の意志で生命力を磨いている宝の時間なので、どれほど親の趣味とかけ離れていても決して邪魔をしてはいけません。

素晴らしい一文なのではないかと思う。たとえば幼児教育のモンテッソーリでも、子供の集中を妨げないことの重要性が強調される。通ずるものがあるのだろう。

本などの紹介 | 01:43:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
数学と「ノー」と「イエス」の非対称性
京大の望月新一先生が、1年ほど前からブログを始めていらっしゃったことを知った。

新一の「心の一票」
という題で、

「新一」という人物の様々なことに関する「心の一票」=声=本音を解説するブログ

という中身だそうだ。とてもクリアな日本語で、数学者らしい文体と内容が興味深い。

ご本人の説明によると、ドラマ「逃げ恥」について考えたことを書いてみたくなったというのも動機の一つだそうだ。残念ながら僕はこのドラマは見ていなかったので、この点の詳しいことは分からないが、いずれにしても正直なところ、こんなことを考えていらっしゃるとは全く知らなかった。

(注:なりすましでないことの裏は取っていないが、質や量からして、他人が書くことはまず不可能だと思う。)


●   ●

望月先生の2017-11-21日付の記事によると、数学とは『人類の認識の仕組みの論理構造の解明』とされている。僕も以前、『数学はあくまでも人類が「理詰めで考えて分かる」ことにはどのようなものがあるか?を追求しているように僕には思える』と書いたことがあって、何となく似ている。でも望月先生はもっと徹底していて、同じ記事の中で

数学=人類の認識の仕組みの論理構造の解明はまさに、「ノー」と言うべきときに断固たる「ノー」を突き付けるための、一種の究極的な技術・手段

となっている。「ノー」(いいえ・違う)と言う手段を数学が提供するという指摘は興味深いな、と思った。「イエス」と言う手段ではなく、「ノー」と言う手段だという点に注目したい。

●   ●

研究の世界では、論文を学術誌に掲載するとき、「査読」というプロセスがある。学術誌に投稿された論文の正確さや価値を、分野の近い同業の専門家が匿名で審査する。数学の場合、証明の「正しさ」はまずもって審査対象となる。しかし考えてみれば、自分の査読経験の限り、「正しさ」自体を直接に確かめることはできない。査読でやっている作業は、「間違いがないか?」を一つずつの論点について確認していくことだ。その中で間違いが発見できれば、その論文は「間違い」とわかって査読結果が報告できる。論文について「正しい」という報告をするのは、最後まで読み終えて間違いが見つからなかったときである。

具体例を取れば、例えば √2 が無理数であることの証明の「正しさ」は、そのようにして判定されている。証明のどこを読んでも間違いがないので、「正しい」と判断している。誤りは積極的に判定できるが、正しさは消極的にしか判定できない、という非対称性が正誤の判定にあるように思われる。

この非対称性の話をもう少し押し広げると、意思表示ができるようになったばかりの幼児(2歳前後?)の、「ノー」と「イエス」の非対称性が思い浮かぶ。「ノー(いいえ)」と「イエス(はい)」は対義語のようだが、この時期の幼な子からの意思表示は基本的に「ノー」しかない。ちょうど今うちに、2歳になったばかりの子供がいる。「お風呂に入る?」「散歩に行く?」「ご飯食べるよ~」と言った問いかけ・提案・指示などに対し、そうしたくないときは首を横に振る否定の仕草をする。でも、そうしてよいときやそうしたいとき、笑顔を見せたりはするが、首を縦に振って頷く肯定の仕草は別にない。幼児において、否定と肯定の間にこのような非対称性がある。そして、”したくない”の「ノー」よりもうちょっと直接的な日本語は「イヤ」であって、この「イヤ」には対義語がない。

●   ●

違うときに違うことをはっきり説明できるのが論理であり数学である、というのはその通りであると思う。望月先生の記事では、結びの方で次のように書いてある。

人類にとって最も究極的な「武器」はやはり核兵器や化学・生物兵器等ではなく、物事や仕組みの本質的な論理構造を研究し、明らかにすること、つまり、一種の広い意味での「数学」

論理で勝敗が決まるわけではない。例えば、権力は容易に論理を踏みにじることができるのは、ここ数年の政権の横車の押し方を見ればわかる。でも、少なくともそれが「横車を押す」行為だと明白にすることが、論理にはできている。論理というのは背景の異なる人同士がともにやっていくための対話の道具でもあるが、それは同時に抵抗の手段にもなるのだろう。

未分類 | 08:04:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
続・子供と学ぶ二度目の算数
昨晩の出来事。

小学1年生の子供が、算数の問題集の前の方に、間違いが1つ残っているのを見つけた。解きなおしたくなったらしく、妻と一緒に考え始めた。


このようなカレンダーが載っていて、「15日の4日あとは?」という問題。子供は11日と書いていて、ペケがついている。

●   ●
 妻:15日の4日あとは?
 子:11日。
 妻:それは4日まえとちゃう?
 子:ん?
 妻:んー、じゃあね、15日の4日まえやったら?
 子:んー、11日。
 妻:でしょ。じゃあ、15日の4日あとは?
 子:11日!
 妻:( ̄□ ̄)!!それは4日まえとちゃう?
 子:ん??

ここで妻から、「どうしたらええのん?」とバトンパスされた。私としては一瞬、ここまで子供なりの理屈があって11日にしてる以上、まぁもうしばらくは11日のままでもいいんじゃないか(やむを得ないんじゃないか)とさえ思ったが、子供の方が何でペケになっているか理由を知りたがっている。えーっと、でもどうしましょうかねぇ。。じゃあまず‥


 私:3日の2日まえは?
 子:1日。
 私:じゃあ3日の2日あとは?
 子:1日。



なるほどねぇ。どっちも同じ答えになるのか。うーん、では‥


 私:7日の2日まえは?
 子:5日。
 私:(ふと思いついて)じゃあ7日のあさっては?
 子:んー、9日。
 私:(おっ、後ろになった。)じゃあ7日のあさってのあさってのあさっては??
 子:!!分からん!
 私:そうか。(ちょっと悪ノリだったか。)じゃあ、7日の、あさってのあさって、やったら?
 子:んーと、11日。
 私:じゃあそれのあさってやったら?
 子:あぁ、13日か。
 私:じゃあ、7日の4日あとは?
 子:11日。
 私:(あらできた。)じゃあ‥
 子:(問題集に目を向けて)あ、19日か。19日やなぁ (*^-^)



と、ここで正解が分かったらしい。子供はここで満足したようだ。

●   ●

これで「15日の4日後は?」という問題が理解できたとはまだ言えない。こんなに誘導を重ねてやっとできたのだから。今日は正答への道筋をともかく辿れたというぐらいだ。自分一人でも辿れるようになるか。もちろん、こんな回りくどい道でなくてよいはずで、一旦分かれば簡単だろう。ひょっとすると数日のうちにできるようになるかも知れない。でも構成論的に考えると、それと並んで大事なのは、4日前と4日後で同じ答えになったこと、それに違和感がなかった思考の調整だと思われる。子どもなりに考え、あれだけ整然と答えていたわけで、この思考の調整には結構時間がかかるかも知れない。大人としてはここは、たまに必要なときの支援をしながら、ゆっくり待つのがいいように思う。この調整のプロセスが長いのであれば、きっとその分、そこで子供は多くことを学ぶのだろうから。

●   ●

(追記)しかし、何で4日前も4日後も11日になったのか。それはよく分からんかった。



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コラム | 09:05:47 | トラックバック(0) | コメント(0)
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